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共産党物語タイトル
はじめに朝日
日本共産党神鋼支部は、戦前から神戸製鋼の職場で平和と労働者の生活と権利のために闘ってきた歴史をもつ伝統ある支部です。その闘いの頂点のひとつが1992年に始まって9年後の2001年に勝利和解した兵庫県地方労働委員会(以下、地労委)への「賃金差別撤廃」提訴と神戸地裁への2つの「出向反対」提訴の闘いでした。

この物語はその闘いの中核を担った加藤三彦の地労委での陳述書をもとに加藤と仲間たちの「たたかって生きる」人生を描いたものです。それはまた、ITを駆使する最先端の生産システムと労働者の熟練技能が結合した製鉄所の中での「民主主義と人権」侵害の実態を鋭く告発するものとなっています。

この物語は、加藤三彦が神鋼に入社するまでの生い立ち、入社後の仕事の変遷、共産党への入党、会社からの監視・転向強要・切り離しなどの攻撃とそれへの反撃、労働者の生活と権利を護る諸活動などで構成されています。

筆者は、この物語が、労働がきつくなる一方で生活はいっこうに向上せず将来不安も大きくなっている現代に、どう向き合って生きるかを模索している多くの労働者への励ましのメッセージとなることを願っています。

生い立ち
加藤は、戦火激しい1944年2月10日、愛媛県西条市で兄二人、姉二人の末っ子三男として出生しました。父竹夫は「松竹堂」を経営し、菓子製造・販売業では西条市で一、二を争う隆盛を極めましたが、第二次世界大戦で日本軍国主義の中国侵略戦争に徴兵されました。1945年8月15日敗戦となり、済州島から帰還途中の11月6日、乗船していた「東豫丸」が潮流の変化の激しい今治沖、来島海峡、伯方島で座礁転覆し、戦没死しました。33歳でした。

父を失った母千代子は、店を閉じ、これまでとはうって変わったどん底の生活を強いられ、食パンの配達でなんとか子供5人を育てましたが(今でいう「過労死」というのか)心臓病を患い、38歳の若さでこの世を去りました。この時、長女は19歳、長男17歳、次女15歳、次男12歳、そして三男の加藤は9歳でした。

長女は小さな「洋裁店」を開き、家族の生計をたてようとしましたが、5人が食べていけるほど生やさしいものではありませんでした。
長男は、昼はパン屋の職人として働き、夜は「定時制」高校に通いましたが、尚苦しくなって、学業の道を断念し、昼も夜も働きました。その後、東京・大阪に職を求めて渡り歩きましたがうまくいかず、姫路の陸上自衛隊「兵庫地連」に入隊しました。そして、毎月家族への「仕送り」は欠かすことはありませんでした。

母が存命中はただ甘えていた加藤も、小学3年生の時から食事を作り、下校後、トリ貝の「賃貝あけ」・海苔干し・土方・海中でスクラップ回収の潜水夫に船上でエアーを送るポンプ押し・焼却炉づくりの先手などのアルバイトをやってきました。
中学3年生の頃、村上信雄の組織する「国民自覚運動十年会」に入会しました。「十年会」は「世のため人のためにつくす」「十年後には立派な人間になる」ことを合言葉に、青少年の健全な育成、市内の清掃・駅前の草むしり・電柱に竹筒の花器を取り付ける「花いっぱい運動」などの市内美化運動、水深の深い加茂川の「落ち切り水泳場」に救命具を設置する活動、銀輪部隊による市内全域の火災防止の夜警活動などを展開しました。加藤は会長として先頭に立ちました。当時、会員は小学生〜高校生まで80人くらいでした。
中学校を卒業して地元のセメント会社か神戸のケミカルシューズの生産工場で働くつもりでいましたが、どうしても高校にだけは行きたくて愛媛県立西条高等学校に進学しました。
高校の3年間は新聞300部の配達・集金のアルバイトをして、得たお金は学費や身の回りのものの購入にあてました。愛媛新聞本社からは「優秀配達員表彰」を受けました。

就職は、愛媛県警を受験し、29人中加藤のみが合格しました。同時に受験した叶_戸製鋼(以下会社といいます)にも「内定」し、家族会議の結果、会社に入社することになりました。
会社に赴任する一週間前に姫路の自衛隊(兵庫地連)に働く長兄晃を訪ね、ここまで育ててくれたお礼の挨拶をするとともにと立派な社会人になることを誓いました。この時、兄は加藤に「上司を敬え」「共産党だけは絶対入るな、入ったら兄弟の縁を切る」と告げました。
1962年(昭和37年)4月16日に赴任するよう会社から案内が来ていましたので、前日、会社近くの「入船旅館」に宿をとり万全を期しましたが、まだ見ぬ会社への期待で寝つかれませんでした。(続く)

ここでひとこと

1992年4月職場活動家13名が「賃金差別撤廃」の提訴を地労委へ提出。1994年9月塗木紀明氏が、同じく1997年6月加藤氏ら4人が「労働条件悪化、本人同意なしの出向命令は無効」と神戸地裁に「出向命令無効確認」を求めて提訴。創意あふれる大衆的な裁判闘争を展開して不屈に戦った結果、神鋼株主総会前日の2001年6月26日、これらの問題を一括全面解決する次のような和解協定が結ばれました。

  1. 会社は憲法・労働諸法規、及び企業倫理綱領に則って申立人らを含む従業員の労務管理を行い、労働条件の改善に取り組む。
  2. 会社は申立人らに対し解決金を支払う。
  3. 会社は、基本的人権を尊重するとともに、在籍従業員を他の従業員と同様に公正・公平に評価・処遇することを約束する。
これは鉄鋼大手5社の労働争議のなかで、21世紀最初の画期的な「全面勝利」の和解協定でした。


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