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共産党物語タイトル
配属先の変遷と仕事内容その1朝日
ナンバー小型設備課(1962年4月18日〜4月30日)
作業服、手袋、安全靴、ヘルメット等が支給されました。当時、月産4,000トンの鉄筋バーの圧延工場といわれる小型工場が建設途上でした。新入社員全員に対して片山技師、明渡係員、細川作業係長、玉井・三島責任者らが挨拶、仕事内容の説明をされました。

小型工場が建設されるまで定常作業はなく、建設作業現場で働くことになり、完成真近かの圧延工場の清掃や土間コン打ちなどを人海戦術でやりました。 小型工場の浜側は小型加工工場になる予定で建屋のみは出来ていましたが、機械設備は基礎しか出来ていなくて、特別な仕事はないため、片山技師指導のもと、加工工場予定地の更地や埋立地のスクラップ拾い作業を毎日繰り返しました(横一列に並び東へ西へ進み、埋立地内の番線・スクラップを拾い、宝箱と称するドラム缶へ入れる作業)。 更に小型加工工場の浜側は6線材工場予定地でしたが、未だ埋立てが終わっておらず池のようになっていました。遠くの浜ではノロ台車からノロ(鉱滓)が捨てられており、ノロが水と接し水蒸気爆発を起し、ドカーンと轟音が響いていました。

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ナンバー成品加工課へ約一ヶ月応援(1962年5月1日〜6月5日)
勤務形態と作業内容
脇浜工場の成品加工課の線材加工工場に応援を命じられ、初めて仕事らしい仕事が出来ると喜びました。
勤務は3直3交代でした。
<1勤> 7:00〜15:00
<2勤>    15:00〜22:15
<3勤>        22:15〜7:00

1,2,3勤とも一週間ごとの変則勤務で、1勤から2勤に替る日曜日は連勤(1勤+2勤)で、3勤明けの日曜日のみが翌日の月曜日1勤7:00まで自由な「明休み」といわれましたが、本来の休日とはほど遠いものでした。

線材加工工場では二つの作業があり、一つは線材を「熱処理加工」する作業、もう一つは「洗線」と呼ばれる作業で線材を二次加工する伸線をやりやすくするための前工程です。
加藤は「洗線」の作業に従事しました。「洗線」の工程は酸洗い(塩酸)⇒シャワー⇒石灰漬け⇒ボンデライト⇒均熱炉⇒結束⇒出荷となっており、各工程での線材の移動はホイストクレーンでやられていました。

本工はホイストを運転し、応援者は下で「先手」となって線材のバラシ、シャワーの開閉、滴とり、結束などをしますが、高熱と塩酸・石灰の悪臭の中での作業は大変きついものでした。長崎出身の同僚は「きつかねえ、たまらんとばい」と悲鳴をあげていました。

不払い残業
応援期間中1日だけ異材混入防止対策会議が開かれ、1勤者全員が終業後3時間会議に参加させられましたが、後日明細書には残業代はありませんでした。

従業員の監視(会社の体質)
入門時は必ず保安課員二人に私物を点検されました。ある日、加藤のバッグの中から「陽はまた昇る」(ヘミングウェイ)を見つけた保安課員はその本をもう一人に見せて「大丈夫か?」と聞いていました。


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