更新履歴
日本共産党神戸製鋼委員会バー
ホームへ わたしたちの活動 職場の動き 職場の声 はたらく者の権利 世界の動き・日本の動き ひろば リンク
共産党物語タイトル
日本共産党に入党朝日
ナンバー共産党からの働きかけ
1966年新在家神鋼寮。堂薗さんが加藤のところへやってきて、入党を率直に呼びかけました。加藤は当時、入社数年の時であり、資本主義が悪いとも思っていなかった。むしろ、この会社で一生懸命働いて、最低でも課長ぐらいにはなりたいと思っていました。

しかし、堂薗さんは、加藤に対して、会社の飽くなき利潤追求のための「合理化」、非情な労働者支配の実態、そして労働組合の右傾化と、労働者のおかれている実態を切々と説きました。そして、その打開の道は、独占資本の鉄鋼職場において、渦巻いている労働者の切実な要求を取り上げ、職場を基礎にたたかう労働運動しかないことを説きました。そのためには、職場に運動の核となる共産党が必要で、労働者の解放、国民が主人公の日本をつくり上げるために共にたたかおう、と語ってくれました。

これに対して、加藤は、「QCサークル」を批判する堂薗さんに納得せず、科学的手法を駆使して明るく快適な職場づくりを全員参加で進める「QCサークル」のどこが悪いのかと激しく抗議したこともありました。

しかし、堂薗さんはあきらめず、党や世の中のことを一緒に勉強していくことを薦めました。自分の目から見ても、多くの労働者は、みじめな労働条件や、劣悪な職場環境のもとで働かされていました。勉強を重ね、冷静に、「職場」、「労働者」、「政治」、そして「歴史」を見つめると、だんだん物の見方も変わってきました。

ナンバー戦争の悲惨な結末と戦争に反対した共産党の存在
加藤の父は、戦争に行って死にました。田舎の加藤の家には「加藤」の表札の横にもう一つ「遺族の家」(菊の紋章いり)の表札がかけられていましたが、母の若死にもその後の家族の苦難も戦争のせいと言えます。あの戦争さえなければ父親も死ぬことはなかったのです。父親が健在なら、母親も若死にせず、加藤たち家族があんなに苦労することもなかったのです。

アジアで2000万人、日本で310万人もの犠牲者を出し、父を死においやったあの侵略戦争の実態を学びました。「父は日本軍国主義に殺されたのだ」と、侵略戦争を進めた者への激しい憤りを感じました。同時に、戦争中に、非国民とののしられ、数多くの人が弾圧で殺されても、反戦のために活動しつづけた日本共産党こそが、真の国民の生命と幸福のために活動する政党だと知って、大きな衝撃を受けました。これが入党のひとつの動機です。

ナンバー「定期工制度の廃止」の闘いの影響
入党の動機のもうひとつは、加藤自身が経験した「定期工制度」という無権利状態を強いる制度と、その制度の廃止を求め闘う人たちがいたことです。当時、笹井俊司さんが日本共産党員と目され、雇用契約更新を拒絶され解雇されました。「定期工を守る会」の人たちが、笹井さんの解雇撤回、職場復帰をめざして闘っていました。その人たちが門前で配布する「定期工制度の廃止」を訴えるビラには、加藤が感じ、言いたいことが綴られているように思えました。自分の立身出世により幸せをつかむか、全ての働く者の幸せと人民解放、そして平和のための運動に自らの身をおくのか、考えに考え、ついに日本共産党員として働く仲間に奉仕する道を選びました。

ナンバー兄を訪ね、入党を報告
決意した加藤は、先ず姫路の兄を訪ねました。加藤が会社に赴任する前、兄から「日本共産党にだけは絶対入るな。入ったら兄弟の縁を切るからな」と言われていたからです。 3日間の休暇をとり、加藤は誠心誠意思いを兄に話しました。予想に反して、兄は加藤の 話を怒ることなく聞いてくれました。そして日本共産党が躍進し、本当に民主連合政府が できた暁には自衛隊を辞め、平和産業に復帰させてもらうと言ってくれました。

はじめにアイコン1章アイコン2章アイコン3章アイコン4章アイコン5章アイコン6章アイコン7章アイコン8章アイコン編集後記アイコン
神鋼支部物語トップへこのページのTOPへ

ホームへ わたしたちの活動 職場の動き 職場の声 はたらく者の権利 世界の動き・日本の動き ひろば リンク