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共産党物語タイトル
労働者を守る闘いその1朝日
ナンバー労働組合の役員選挙
(1)執行委員、執行委員長に立候補

加藤は、組合員の生活と権利を守り、安心して働ける明るい職場を作り、組合員が主人公の民主的な組合を作るために、会社の人べらし「合理化」協力や「労資一体化」路線に反対して闘いました。 1970年頃から神鋼神戸労組あるいは神鋼労組神戸支部の代議員選挙では、自らの名前を書いて投票しました。執行部役員選挙では執行委員に4回(1974年〜1980年)、執行委員長に9回(1982年〜1998年) 働く者の立場を鮮明にして連続して立侯補しました。加藤が得た支持票は全体の10〜30%程度で当選には至りませんでしたが、神鋼に於ける"良心の灯火''として職場の熱い期待を担いました。
立候補の際の政策は、職場新聞の「はがね」「展望」に掲載し、工場門前や社宅で配布し、広く組合員に知らせ、多くの共感を呼びました。

(2)会社の組合役員選挙への干渉

2年に1回の労組役選の時期になると職場は暗くなりました。なぜなら本社の労政部を中心に管理職が労組の役員を指名し、職場の職制がそのまま「役員選挙対策部」に変身し、そして一般組合員の人権を無視して、上司による会社派侯補への投票押しつけがやられたからです。
会社の労働組合役員選挙への干渉、介入、不当労働行為の実態について加藤らが告発した2つの実例を次に紹介します。

*職制が投票用紙の筆跡鑑定
1974年5月の代議員選挙において、加藤は労働組合の民主化と組合員の生活と権利を守る先頭に立とうと思い、15人に1人選ばれる代議員選挙に立候補しました。当選するために職場の過半数の得票を目指し、通勤途上や職場の野球が終わった後などで、職場の仲間に支持を積極的に訴えました。その結果11名が加藤への投票を約束してくれました。
しかし開票結果では加藤の得票がわずか2票でした。1票は加藤自身が入れたものなので、職場の仲間の票は1票だけでした。家へ帰って、夜ふとんをかぶって泣きました。皆あれだけ約束してくれたのに、それを裏切られた悔しさでたまらなかったのです。驚いた加藤の妻は、「そんなもんと違うの。鉄鋼の職場を変えるのはそう簡単にはいきませんよ」と慰め、激励しました。

翌日開票結果を知ったKさんは加藤のところへ来て「お前に入れたのはわしだけやないか、どないなっとんのや」と怒りをぶっつけました。Tさんは加藤のところへ来て「約束を破って申し訳ありません。実は職制が投票用紙の筆跡鑑定をやるというのでどうしても加藤さんの名前をかけませんでした」と頭を下げました。その他の仲間は何事もなかったかのような顔をしていました。

「職場の仲間を恨んではいかん。独占の牙城である鉄鋼の職場を変えることは生やさしいものではない。職制による筆跡鑑定がやられてもなお支持してくれるまでにならなくては」と考えました。これまで以上に職場の仲間との結びつきを強める努力をしなければならないと決意を新たにしました。

*会社の班長研修で労組分団長が役選対策を指示
1988年7月会社による班長研修が行われていました。光武部長の話しがあったあと、労働組合の役員であるM分団長が執行部役員選挙について説明し、指示を出しました。
1.赤(共産党)と青(社青同)がドッキングした。
〔これは尼崎製鉄所から神戸製鉄所に配転させられたUさんらの活動家が加藤ら共産党の活動家と合流したことを指していました。〕
2.組合員数が7450人から6400人に減った。
〔これは、人べらし「合理化」のため組合員数が大幅に減ってしまった、組合員に不満が渦巻いている、だからこれを押えるためには何としても役員選挙で労資協調派を当選させなければならないと危機感を煽るものでした。〕

その上で赤や青の活動家の得票率を抑制するため以下のような目標数値を出し、投票用紙名簿で上部に名前の書いてある会社派候補に〇をつけるように職場での投票を具体的に指示していました。


前回結果今回予想
執行委員長14%15%
副執行委員長11%700票で前年並み
執行委員12.2%500票なら敗北

会社と組合が職制機構を動員して、役員選挙で加藤らの得票を徹底して押え込み、排除しようとしている姿がこれらの例からも明瞭に見えます。

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