2005年1月25日、26日、27日の3回、「しんぶん赤旗」に掲載された「雇用を守れ 独・シーメンスのたたかい」について、概要を紹介します。
ドイツには、労働者の権利を守る砦として組合のほか「事業所評議会*」があります。さらに、解雇を規制する法律*があり、企業のルール違反を裁くため、労働者の代表も参加する「労働裁判所*」があります。ドイツの労働者はこれらを活用し、解雇とたたかっています。欧州ではこれが常識となっていますが、日本ではサービス残業や出向、リストラなど大企業の横暴がまかり通り、ルールなき資本主義といわれています。海外の闘いに学びつつ、日本の現状を改革するため、ともに闘いましょう。
*印がついたことばはクリックすると解説を表示します。
人員削減計画発表と闘いの始まり
シーメンス社は2002年8月「ホフマン通り工場」(従業員約一万人)で2600人の人員削減計画を発表していました。それに対し労働者たちは、事業所評議会と金属労組(IGメタル)に結集、大企業シーメンス社とのたたかいが始まりました。シーメンス社ホフマン通り工場の事業所評議会*が、まず力を入れたのは大量解雇への対抗案づくりと解雇に至った場合の労働者の生活を保障する社会計画づくりでした。
事業評議会の「実現可能な代案」
提案は同社の電気通信部門の業績不振を認めながらも、全体では史上二番目の利益を出しており、問題を抱えた5%の部門をカバーすることは可能だと指摘。また、黒字部門の携帯電話や会社向けの固定電話システムの拡充を訴えました。週三十五時間労働を二時間半短縮、賃金も20%削減する代わりに雇用を守ることを骨子とした「実現可能で積極的な代案」でした。
会社の譲歩と本格的たたかい
会社側は人員削減を当初案から大幅に下回る1100人にとどめることに譲歩。しかし、本格的なたたかいはそれからでした。会社側は、11月に876人の従業員に対し、職業訓練会社への転出か早期退職を受け入れなければ解雇すると脅す「解雇警告通知」を送りつけてきました。大半の人々が職業訓練会社や早期退職の道を選びましたが、会社はなおも「会社に残りたい」と希望する366人についに2003年1月に解雇通知を出しました。
160人全員の解雇を撤回させる
ドイツの法律では従業員を解雇する前に事業所評議会の意見を聞かなければなりません。ホフマン通り工場事業所評議会は企業が解雇に当って事業所評議会の意見を聞かなかったと主張。またドイツでは障害者や55歳以上の従業員は再就職が困難であるとして解雇規制があります。この対象者が解雇通知を受けた人たちのなかに160人おり、この人たちの解雇除外も求めました。会社側はしぶしぶ、全員の解雇を撤回しました。残りの人のうち162人が労働裁判所に訴えました。
労働裁判でのたたかい
2003年4月に始まった労働裁判で、159人は解雇無効を求めて争った第一審で勝利し、負けた人はゼロ。3人がなお一審で裁判中です。事実上、最終審となる州労働裁判所でもすでに52人が勝利。1人は負けたものの、今年中に100人余りの判決が言い渡される予定です。
裁判で解雇無効の根拠にしたのは解雇規制に関するさまざまな法律です。個々の労働者の解雇について企業側は労働者の代表組織である事業所評議会の意見を聞かなくてはなりません。シーメンス社がこれに違反していると言うのが第一の根拠。第二の根拠は解雇制限の「社会的選択」条項。企業が経済的な理由で解雇する場合、再就職で不利になる中高年や障害者を避けるよう配慮しなければなりません。解雇の無効を求める訴訟と並行して、裁判が終了するまで雇用関係の継続を求める訴訟も行われました。法律では事業所評議会が反対した場合、企業側は訴訟期間中、雇用関係を維持しなければなりません。この裁判はただちに労働者側が勝利しました。 |